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いくら何でも、見張りも哨戒もある中で、
誰一人気づかぬままに、
大人が一人ひょいと消えられるはずがなく。
確かに後宮からは、
素早い身ごなしを生かしてその姿 晦ましたキュウゾウであったが、
そこから先では微妙に見とがめられてもいて。
何より、思い立ったことへと必要だったのが馬だったので、
厩舎がどこなのかが判らずに、
通りすがりの侍女に訊くという大胆なことをやってのけたその上で。
『お妃様がお一人での外出なぞ、出来ようはずがありませぬ。』
見過ごした私も罰を受けてしまいましょうと泣き出したのを、
ならば当て身をやって置いてくまでだと、
豪快に説き伏せかかった(?)キュウゾウもキュウゾウならば、
『判りました。でしたら私もお連れくださいませ。』
どうやら泣いたのも引き留めんとする策だったようで、
それが効かないならばとの切り替えも見事に、
どうあっても単独での行動は看過出来ぬと同行を求めたこの侍女こそは、
あのシチロージが最も頼りにしている、
第一王妃 傍仕えのシノだったりするのだが。
それさえも覚えていないらしきキュウゾウ様、
いやいやそこまで注意力散漫な姫でなし…と。
翌日に一部始終を訊いたシチロージが、
ついのこととて くすくす微笑った見立てのその通り。
彼女が輿入れのおりに炯の国から持ち込んだ、
東の国での言葉の名、紅蓮という愛称の駿馬を厩舎から引き出させると。
鞍をつける暇間さえもどかしそうにしていての、
準備が整ったその途端、あっと言う間にヒラリと馬上の人となり、
先に行くぞと駆け出して。
『よほどに戦さ慣れした武将様でもああは行かぬほど、
あまりの手際のよさと迅速さにあっては、
お引き留めするのも侭ならずで。』
事情を訊かんと後日に呼び立てられた馬番の仕丁らが、
ただただ萎縮していたところまでをシノから聞いて。
ついついこっそり、可笑しそうに苦笑をこぼしてしまった第一王妃。
『さようか。そうまで居ても立っても居られなんだか。』
しかもしかも、お転婆な第三王妃、
恐れもなくの王へまで食ってかかるほどの気性の烈しさから、
仕丁らの間でどれほどに恐ろしい姫かと噂されていたのかは有名すぎた。
下手に止め立てして、斬り捨てられたらとでも思うたに違いなく。
だからといって、下手すりゃ外交問題にさえ発展しかねぬ、
“逐電”かも知れない疾走、ただただ見送っていいわけでは勿論なくて。
うら若き姫が一人、物騒な夜陰の外へ飛び出した先で、
良からぬ悪漢に身分も知らぬまま攫われていたら何とするかと。
悪いのは姫であると重々判っていながらも、今後のことを思うての罰、
仕丁のなけなしの給与から当月に限っての減給が言い渡されたらしいのも、
まま、今は置いとくことにして。
「………。」
そちらもなかなかに行動的な侍女であったらしいシノが、
多少は遅れながらも別の駿馬を駆っての追いついた先。
少しほど高台になった丘の際に、騎乗のまま立つキュウゾウの後ろ姿は、
その向こうに広がる更夜の漆黒に、
今にも取り込まれてしまいそうなほど頼りなく見えて。
“…キュウゾウ様。”
自分もそれなりの家系の娘だが、
奉公にと差し出され、こうして人へ仕える身となったように。
王族ともなりゃ、何不自由なくの暮らし向きが出来る反面、
その人生の舵取りに関してだけは、自分の思うとおりに運ばなくても当たり前。
それがこの乱世に生まれた女たちの身の上への“常識”であり、
教養を身につけ、多少は発言権も認められている自分は、
苛酷な生き様を強いられている下々の女たちより、まだマシな方だと思っていたが。
高貴な気性や矜持を持つがゆえに、
尚更、その身の遇されようへと憤ることも多かろう、
彼女ら王女の心情を思うと、
畏れ多くもお気の毒だなと思わなくもない。
王さえ凹ます自分の主人の、シチロージの強かさに慣れていたせいか、
彼女らもまた、悲しい身の上なのだとあらためての思い出し。
『もしやして、無体な言動を取るやも知れぬ姫なれど』
よほどに無茶をせぬ限りは、
そして、お前の力量で何とか手助け出来ることならば、
私の名を出してそのせいにしても良いから、
彼女にも侭を許してやっておくれ、よしか、と。
常からもシチロージに言われていたこと、
こんな土壇場に思い出せたのも。
そんな判断を持ち出せる余裕のある心持ち、
あの聡明な王妃の傍らにいることで、自然と育まれたのやも知れず。
「………。」
何かしら、物思いに耽っておいでの細っそりした背中、
向背に控えてシノが見守っていたのも数刻ほど。
自分がそうであるように、彼女もまた、
宴に出ていたおりの格好なのだと気がついて。
「キュウゾウ様、そろそろ戻りましょう。」
砂漠は昼夜の寒暖の差が激しい。
昼間の灼熱を受け止めた大地は、だが、
あっと言う間にするすると熱を奪われての、
薄着でいると凍えるほどの寒さが満ちる。
ましてや、季節は冬が間近い秋の終わりで、
それほどの差はないとの油断をしておいでなら、大きな間違い。
一応は織物の肩掛けを羽織っておいでだが、
そろそろ結構な刻も経つしと、それこそ首に縄かけてでも連れ戻さねばと、
彼女の立つところへ踏み出しかけたその刹那、
「…………っ。」
シノの近寄る気配のせいでは無くの、されども不意なこと。
闇に沈んでいるばかりの眼下に広がる暗い砂漠に、
一体何を見つけた彼女だったのか。
ついと冴えたお顔を上げたそのまま、
一途な視線を微塵も揺らさずのただただ一気に。
愛馬を操り、急な坂、いやさ ほぼ断崖のような傾斜の高みからを、
一直線に駆け降りてゆくではないか。
「キュウゾウ様っ!」
自分も多少は覚えがあったが、そうまでの巧みな術は扱えず。
已なく 少し脇へと逸れたところへ、
ゆるやかな傾斜を探そうとするシノを捨て置いて、
手綱さばきも鮮やかに、愛馬を駆っての駈けて駈けて。
下まで降り切ると尚のこと、足元不安な暗がりだのに、
それも恐れずの足を速めさせれば、
やがて前方からも馬の足音が聞こえ出す。
遠くにちらちらとした明かりを背負う格好になったその駆け足の主は、
誰とも見えぬ不明な相手のはずだのに。
キュウゾウは少しも怯む様子は見せぬまま。
そして向こうもまた、無灯火のこちらを不審に思っていいはずだのに、
旅慣れていての怖い者はない身か、
怖じけることもないままに、ざかざかとどんどん距離を詰めてくると、
馬同士の輪郭が
見えるかどうかというまでの間近になってからのようやっと、
放って来た声が紡いだのが、
「よもや…キュウゾウか?」
今少しの距離残し、此処は野営を張りましょう、
明日の朝一番に整然と凱旋なさるがよろしいと腹心からの提案もあり。
どうせもう既に領地の内でもあるし、
野に天幕張ったとて、何に脅かされるでなしと。
自宅の庭先のような感慨に浸りつつ、宿営地の用意を始めていたそんな中で、
『………?』
その丘の向こうは王宮の敷地の果てという、要衝代わりの崖を見やっていたカンベエ、
何かを見つけ、そのまま…休ませかけていた馬を引くとヒラリとまたがり、
駆け出したから、さあ従者らが焦った慌てた。
まさか覇王様が不在の間に王宮で何ぞあったものだろか。
それに気づいてのこのお急ぎか?
だがだが、王宮は領地の端になるそれじゃなし、
何かあったらとうに自分らへも伝わってはいないだろうかと。
何が起きたのかは不明なまま、
どうかお待ちをと追ってくる、
傍仕えの従者や腹心らを、少し引き離しての従える格好で。
何も見えない砂の原、雄々しき手綱さばきも勇壮に、
愛馬を駆ったカンベエ様が辿り着いたは。
向こうからも駆け寄って来ていた、小さな人影の真ん前で。
何か見たならお知らせください、
狙撃の巧者、敵方が雇った殺し屋ならばいかがしましたかと。
相手が王でも恐れを知らぬ元・双璧、
今は頼もしき重臣たちから叱咤されよう明日をも顧みず、
相手のお顔もまだ見えぬうちから、
それはなめらかな所作にて馬上から降り立った覇王の懐ろを目がけ、
小さな陰が駆け寄って来て。
「………っ。」
まさか暗殺者かと、皆して肝を冷やした中、
その人物は、だが…物騒な刃は繰り出さず。
その代わりに、カンベエへだけ絶大な効果為す、
涙にたわんだ紅色の双眸を僅かな星影で光らせて。
夜露を防ぐ砂防服の下、頼もしい懐ろへその身を割り込ませると、
嗚咽をこらえての、白いお顔を伏せてしまったのであり。
「如何したか、キュウゾウ。」
「〜〜〜。」
「明日にも帰ると、伝令を出したはずだがの。」
「〜〜〜〜。」
それでも焦れるほどに、儂を待ち侘びておったのか?と、
睨まれるの覚悟で囁けば、
「 ………。」
か細い肩がひくりと震えたものの、
それでもお顔さえ上げぬままの彼女であり。
久方ぶりに騎乗した愛馬の温みより、確かで頼もしい存在感に。
今はただただ甘えていたいらしき姫様の、淑やかにして音無しの構えへと。
“何だか調子が狂うことよの。”
小さな温みが、こちらには何とも頼りなくてたまらず。
困ったように眉を下げたカンベエでもあって。
迷子の小鳥でももっとしっかりしていよう、
日頃の姫なら尚のこと、砂漠の覇王が相手でも、
凍るような眼差し向けるばかりのはずだろに。
カンベエが留守の間、どれほど心細かったのか。
声を押し殺して泣く様は、ただの華奢な小娘に過ぎない有様でもあって。
『芯のしっかりした姫であられたのにねぇ。』
敵よ仇よと思うておった男が、実はただのタヌキだったので気も抜けて、
お心持ちが不安定であらっしゃったのかもしれませぬなと。
覇王からの寵愛を競うどころか、仲睦まじくも結託し合い、
カンベエを困らす悪戯さえ構える間柄の第一王妃がそんな言いようで諭したように。
反発することで気心を支えていた相手へ、
実は味方と判っても、どうして素直に凭れられましょ…と。
そんな混乱の内で、ただただ寂しさが募られたのでございましょう。
なので、
『落ち着かれたらで構いませぬから、
また何か、憎まれの一つも言っておあげになるといい。』
『おいおい。』
そうすれば、また強かなお顔を取り戻してくれましょうと、
しゃあしゃあと言ってのけた奥方へ。
儂にずっと憎まれておれと申すのかと、
辛辣な対処法へしょっぱいお顔をなさるのも、これまた後日のお話で。
どこか東の国の童謡に唄われたよに、
月の砂漠をはるばると、帰って来たばかりの王様は、
今だけ寂しがり屋な王妃様の、
これ以上はなかろう愛らしいお出迎えに遇い、
ひとしきりお困りになりつつも…相好を崩されての嬉しそうでもあられたとか。
「…さて。それでは王宮へ戻ろうか。」
「………。(頷)」
砂漠を見下ろす夜空には、今やっと群雲から解き放たれし望月が照り映えて。
雄々しき愛馬にまたがり直し、その懐ろへ小さな妃を抱え上げ。
まるで新たに得た宝を抱いての凱旋よろしく、
その割に…遅い時刻に慌ただしくも、こそりとした帰還と相成ったこと、
時折 思い出しては、第一王妃より揶揄される覇王様でもあったそうな。
〜Fine〜 10.11.19.
*何やこれなお話ですいません。
やっぱりアラビアンは難しい。
ちゃんと調べて書いた方がよかったなぁと、今頃後悔しております。
ちなみに、随分と以前に参考にしたお説によれば、
日本から見た“アラビアン”は中東の風俗の、
中でもトルコだのペルシャだのといった
古代王朝の色々を想起するのですが、
欧州から見た“アラビアン”だと、
そこへ支那の香が添加されるんですってね。
中国風といいますか、シルクロードの果ての地の文化の香が馥郁と。
それで思い出したのが、
サラブレットというのは、逞しいアラブの馬と、
中国だったかモンゴルだったかの
血の汗を流して速く走る馬との掛け合わせだというお話で。
(1日に千里を走る馬、汗血馬
。呂布や関羽が乗ったという名馬、赤兎馬もこれだという説あり)
人への喩えのサラブレットというと
血統のいいことを指すのかと思ってたんですが、
いろんな存在からいいとこ取りして、
人工的に生み出されたってことなのなら、
随分と意味合いも違ってくるよなと感じたもんです
めーるふぉーむvv 


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